ぱるばか日誌 2024
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GC滞在記:某重大事件
最近のワンネス・ムーブメント界最大の出来事は、昨年11月の「事件」だろう。
側近の弟子たちがBhagavanによって放逐されたのだ。
その中にはBhagavan自身のひとり息子、クリシュナ氏も含まれている。
そして、みんなから神の如く崇められていたアナンダギリとサマダルシニの両師。
更には、私もずいぶん世話になった天才クリシュナラージ師や、クールなスジャイ師、イケメンのスリニバス師、ボボブラジルみたいなラーダクリシュナ師、そしてラジェッシュ師、ムルリ師、プルニマ師…そうしたガイド(教師)たちがみんないなくなってしまった。
いったいどうなっているんだろう。
真相は誰にもわからない。

それについて、今回Bhagavanがチラリと語っていた。
曰く、昨年11月の不幸な出来事により運動は遅滞を来したが、それによって却って運動は前進している。たとえば、ヨーロッパの人々は恩寵の概念が好きなのだ。この運動の基本は恩寵だ。しかし、彼ら(ガイド)はそれを良しとしなかった、云々。

つまり、Bhagavanによれば、恩寵を中心に据えるか否かで、ガイドたちが離反したということらしい。
恩寵を中心に据えると、外から見るとカルト的になる。ガイドたちはそれを恐れていた。
恩寵というのはまったく不合理だからだ。
しかしまあ、何だってカルトだからな。
たとえば、世に蔓延している拝金主義だって、いっちゃんタチの悪いカルトのひとつだろう。
それに比べれば、Bhagavanの周りで起こっていることなど、かわいいもんだ。

ガイドたちが離反時に批判していたことのひとつに、Bhagavanの予言がある。
Bhagavanはやたらに予言をするんだが、オレの知ってる限り、あんまり当たらないわけだ。
今回も予言をしていた。確か7月中旬にアメリカ発の経済危機が起こる、それも、救いようのないほど深刻なやつが。
これは5月か6月に語られた予言らしい。それがビデオに収められ、何度かセッション中に放映された。
8月になっても放映されていた。アメリカはまだ元気でやっているようなのに。
どうなんだろう。当たってるんだろうか。今、円高ではあるが。

あるいは、かつては、ディクシャのコースに出れば悟るとか言われたりもした。
オレは何度もコースに出たが、はたして悟ってんだろうか??
そういうわけで、いろいろ問題があったのだ。
もうイイ加減にしてくれ、とガイドたちが思うのも無理あるまい。

でもまあ、いかに理不尽でも、それを信じ続けるというのが恩寵の道なのだろう。
Credo absurdum 不合理ゆえに我信ず。
南無阿弥陀仏だって途方もないもんな。阿弥陀仏に帰依たてまつる。
だいたい阿弥陀仏なんか居るか居ないかわからないのに。

そういうわけで、Bhagavanに帰依したい人は帰依すれば良いのだ。
いかに普通のオジサンであっても。
イワシの頭よりはマシであろう。
帰依する対象は何でもいい。
帰依自体に価値がある。
GC滞在記:Bhagavanとの対話
今回のGC滞在で面白かったのは、Bhagavanとの対話だった。

トレーナーコースとダルシャンツアーとで、都合二回、Bhagavanとの質疑応答があった。
通訳としての職務上、オレはBhagavanのすぐ前に座って、悪戦苦闘していたわけだ。
それで印象に残ったのであろう。

その後、個人面談の通訳をする機会があった。
某教授の通訳をしていた時、やおらBhagavanがオレに向かって、言うのだ;
「昨日、第二次世界大戦の日本映画を観ていたんだけど、そこに登場する将軍を見て、キミを思い出したよ」
オレ:「何という将軍ですか」
Bhagavan:「ちょっと覚えてないなあ」
ややあって曰く:「ヤマモトという名前だったか」
オレ:「ああ、ヤマモトですか。船に乗っていませんでしたか」
海軍Navyという言葉を思い出さなかったのだ。
Bhagavan:「そう、船に乗っていた」
オレ:「だったら山本提督でしょう」
Bhagavan:「そう、提督だった」
それから教授とオレを交互に見ながら、「You are the professor, you are the admiral」
と言って、嬉しそうに笑う。

で、どんな俳優が山本五十六を演っていたんだろう??
と、wikiってみると;
大河内傳次郎、藤田進、三船敏郎、小林桂樹、古谷一行、丹波哲郎、二谷英明、市川團十郎…
これだけいりゃ誰だってあてはまるかもな。
二谷には似てると言われたことあるが。
GC滞在記:献身の道
二年半ご無沙汰していたから忘れていたが、改めて基本的な教えを通訳してみると、けっこう良いことを言っているのだ。
内容は忘れてしまった。
右から左だからな、通訳ってのは。
興味ある人は最寄りのトレーナーに聞いてくれ。日本にもう200人くらい居るんじゃないか。
とにかく献身の道なのだ。
理屈はない。

あるセッションで、中村好文氏に似た年嵩のダーサがこんな話をしてくれた。
インドでは昔から知性の道の人と献身の道の人がずっと論争を続けてきたという。
瞑想派とハート派の論争とも言い換えられるだろう。
そして常に知性派が論争に勝つ。
そして常に献身派の足許に伏す。
のだそうだ。

すなわち、献身の道のほうが容易だということ。
日本でも念仏門は「易行」と呼ばれている。

Oshoもかつてこんな話をしていた。
ちょっと長いが引用しよう:

ベンガルのもっとも優れた頭脳のひとりケシャブ・チャンドラが、あるときラーマクリシュナに会いに行った。
ただ会いに行ったばかりでなく、論破しに行った。
ラーマクリシュナは無知無学で、まったく学者ではなかった。
一方、ケシャブ・チャンドラといえば、今までインドの大地に生まれた中でも、とびぬけて優れた頭脳を持ち、とびぬけて鋭く論理的な知性を持った人間だった。ラーマクリシュナが論破されるのは目に見えていた。
ケシャブ・チャンドラがやって来たとき、カルカッタじゅうのインテリはダクシネシュワールに集まって、ラーマクリシュナが論破されるのを見ようとした。
ケシャブ・チャンドラは論議を始めた。だが彼はきっとひどく奇異に感じたに違いない。
というのもラーマクリシュナが彼の論議をじつに楽しんでいたからだ ― いやむしろ異常に楽しんでいた。
神の存在を否定する論議を持ち出すと、ラーマクリシュナは跳ねたり踊ったりする。
彼はひどく奇異に感じた。そこで言った ― いったいなにをしている。私の議論に答えないのか。
するとラーマクリシュナはこう言ったそうだ ― あなたを見ていると、私の信頼はますます強くなる。それほどの知性は神なしには不可能だ。
これが感じるタイプの人間の見方だ。
そして私は予言する ― ラーマクリシュナは言った ― そのうちあなたは、私以上の献身者になる。なぜならあなたの方が優れた頭脳を持っているからだ。そんな頭脳を持っているのに、どうして神と戦えるだろう ― そんなに鋭い頭脳を持っているのに……。私のような馬鹿者でさえ、阿呆者でさえ、到達したのだ。どうしてあなたが到達せずにいられよう。
彼は怒らなかった。論議しなかった。だが彼はケシャブ・チャンドラを打ち負かした。ケシャブ・チャンドラは彼の足に触れ、そして言った ― あなたのように論争が役に立たない有神論者は初めてだ。あなたの目を見ると、あなたを見ると、そして私に対するあなたのふるまい方を見ると、初めて私は、神は可能かもしれないと思う。あなたはなんの証拠も示さないが、あなた自身が証拠だ。
(ヴィギャン・バイラヴ・タントラ第3巻『第三の眼』第8章)
GC滞在記:キラキラ星変奏曲
トレーナーコースというのは、文字通り、トレーナーを養成するコース。
これを終了すると、自分でディクシャ講師養成コースを開催できる。
このコースはGCで毎月開催されているようだ。
今回は世界各国から百名強の参加だったろうか。
そのうち約半数が中国人。
Oshoコミューンもそうだったが、やはりこの世界でも中国の進出が著しい。
そして韓国人が二十名ほど、日本人が11名。西洋人は三〜四十人だったか。
そういうわけで、東アジア勢が多数を占めるコースだった。

指導にあたるのはダーサと呼ばれる人々。
これはBhagavanの直弟子で、だいたい三十代の南インド人だ。
Bhagavanというのは言うまでもなくこの運動の創始者で、日本語ではバガヴァンと表記されることが多い。
今回のコースに関わったダーサは7〜8人であったか。
後述するが、昨年「11月の変」によってその顔ぶれはかなり変わった。
国ごとに担当ダーサがいるのだが、日本担当はキランさん。
三十代始めのマジメそうな人だった。

講義や瞑想ごとに違うダーサが現れて指導にあたる。
三日目だったか、見慣れぬ若いダーサが現れて、講義にあたるんだが、抑揚に乏しく、通訳しててもつまらないわけだ。
誰あのつまらないダーサ? とNに聞くと、あれキランちゃん、との答え。
几帳面で誠実なんだが、あまり舞台慣れしてないんだな。そもそも会計学のエリートだったという。
日本とロシアの担当だったか。「いちばん行儀の良い日本人といちばん行儀の悪いロシア人を担当するんだから、とっても度量の広い人よ」とは、あるカザフスタン人の参加者の弁。
もともとネーマン寺院(後述)の担当ダーサだったが、昨年11月以降、急遽GCに来て外国人を担当するようになったのだろう。
それでも最近はずいぶん柔軟になってきたという話だ。
そもそも南インド人は数学に強い人種なんだが、キランさんのような几帳面さは日本人に合っているかもしれない。
モノを貸してもキチンと返ってくるし。
黒色の肌の輝くキラキラ星という感じ。
今後の活躍に期待したい。
GC滞在記:大後悔時代
チェンナイの立派なホテルで、Nはじめトレーナーコース参加の日本人9名と合流。
タクシーを仕立ててGC到着。
二年半ぶりだが、キャンパスにはそれほど大きな変化もない。
ただ、宿泊棟から瞑想&食堂棟までの間に、屋根付きの立派な通路ができている。
これなら降ろうが照ろうが快適に往還できそう。
ちょうど雨期で曇天が多く、おそらく東京ほどは暑くあるまい。
翌日から十日間のコースが始まる。

そしてほどなく、激しく後悔することになる。
半端な仕事量ではないのだ。
毎日5〜6時間の講義がある。その他に瞑想の通訳やら、質疑応答の通訳やら。
「通訳料」という駄賃は出たのだが、その十倍はもらいたいくらいのハードワーク。
それからまた宿舎だ。
十人部屋に、韓国人参加者たちと一緒に寝る。
そのうちのひとりが極端に暑がりで、強烈に冷房を効かすのだ。
なんで会社CYOたるオレ様が南インドの大部屋で寒さに震えながら寝なきゃなんないんだ。
そんなこんなで、三日目にはなんとなく発熱。
友人によると、ストレス性微熱だとか。
ともかく、普段あんまり使わない貧脳を激烈に回転させるわけだから、発熱しても当然だろう。
このパソコンですら発熱するんだから。
よっぽど途中で帰ろうかと思ったが、参加諸姉諸兄のためを思い、じっと我慢するオレであった。
GC滞在記:そもそものいきさつ
GCとの縁は5年ほど前。
サニヤシン界隈でディクシャが騒がれ出した時のことだ。
ディクシャを受ければ悟れるってんで、オレも試しに受けてみた。
とくべつ「悟った」ってことはなかったように思う。
その後、親しい友人が二人ほどGCを訪ね、良かったというから、オレも行ったわけだ。
2005年の暮れのこと。期間は三週間。そのときの体験談はここにある。かくしてオレもディクシャ講師(ギバー)となる。
それから二年間、上級コースやら、通訳やらで、たびたびGCに通うことになる。都合5回も行っただろうか。
その後、徐々に興味を失うに至る。
期待していたような効果が自分に現れなかった、ということだろう。
2007年春、通訳で行った時、もはや他人のためには行くまいと思った。オレもそんなにヒマじゃない。
それで昨年暮れ通訳を頼まれた時には、お断り申し上げた。

ところが今年6月、友人Nから通訳を頼まれた時、わりあい簡単に承諾してしまった。
これはNとの関係性もあろうが、ちょうどこの時期、インドに行きたいと思っていたからだ。
その時期、ちょうどヒマだったし。
それで、何をするのかよく知らぬまま、引き受けた。
日本人グループのための通訳だそうだ。
引き受けた後、よく聞いてみると、まず十日間のトレーナーコース。
その後、五日間のダルシャンツアー。
前後を合わせると、約三週間の滞在になる。
いかに夏場のヒマな時期だとはいえ、いちおう会社のCYOとしてはチト無謀だったか。
しかし、弊社としてもこの時期インドへ行くのは大切だったので、まあちょうど良かったともいえる。
ちなみにCYOとは、Chief Youmu Ojisanの略。
Golden City 滞在記
今、デリーの空港。
さっきチェンナイから飛来し、これから北部のデラドンへ向かうところ。
国内線のターミナルもモダンできれいなもんだ。
隔世の感である。

さて、2010年の7月から8月にかけて約三週間、南インドのゴールデンシティ(GC)を訪ねる。
オレにとっては二年半ぶりだ。
その見聞をつれづれに綴ってみることにする。