ぱるばか日誌 2017
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『生物はウイルスが進化させた』
 竹村政春著。

 要点は、真核生物の細胞核はウイルスの影響で誕生したという仮説。

 ウイルスは細胞に侵入すると、ウイルス工場を立ち上げ、そこでウイルス粒子を産生する。そのウイルス工場と細胞核は性格が似ている。もともと細胞には核は存在していなかったが、ウイルス工場の「流用」により細胞核が誕生した。細胞核の誕生により細胞の機能が向上した。
 RNAからDNAが誕生したのも、ウイルスとの相克ゆえだ。

 また、ウイルスとは、一般的に考えられているのはウイルス粒子だ。
 しかし、ウイルス粒子とはウイルスの種子みたいなもので、ウイルスの本体は「ヴァイロセル」だ。ヴァイロセルとは、ウイルス「感染」により、ウイルス粒子を大量に生産する状態になった細胞。

 ウイルスにとって、細胞性の生物(すなわち我々)は、ヴァイロセルのための土台である。そしてその土台は、ウイルスによるゲノム水平移動によって進化「させられて」きたとも言える。

 最新のウイルス研究により、生命観に変換がもたらされようとしている。
戦争大好き/火野葦平「兵隊三部作」
 つらつら思うに、我々人間は戦争が大好きなんじゃないか。
 だからこそ、日本国憲法の前文には「日本国民は恒久の平和を念願し」なんて書いてあるのだ。ホントに戦争がイヤだったら、わざわざそんなこと書く必要もあるまい。
 たとえば、NHKの看板番組、日曜の大河ドラマ。今年は軍師官兵衛だろ、来年は幕末の動乱、再来年に至っては真田幸村だ。信州上田出身のオレとしては慶賀の至りだが、だいたい幸村なんて戦争以外にほとんど事蹟は知られていないくらいなんだから、やっぱりみんな戦争大好きなんだろう。もしも先般の大戦をウマいこと処理してたら、今ごろは「マレーの虎・山下奉文」とか「大東亜の曙・東条英機」とかやっていたに違いない。
 そういうオレも戦争大好き。小学生の頃など、戦記本を読み漁り、連合艦隊の活躍に大興奮したものだ。しかしいくら活躍しても、最後には必ず米軍の猛攻によって撃沈となるわけだから、ひたぶるにうら悲しい。そのトラウマから世の無常を観じるようになったのかもな。

 というわけで、最近また戦記物をひもといている。小学生の頃はほとんど興味のなかった大陸戦線だ。(連合艦隊も出ないしな)
 中国や韓国などとの善隣関係が何よりも大切な今日、日中戦争とはいかなるものであったか知ることは無駄でもあるまい。そこで世に名高い兵隊三部作。
 作者の火野葦平は新進作家として芥川賞を受賞するころに応召。一兵士として上海近郊に敵前上陸し、泥濘の中を苦心惨憺して進撃。のち杭州市に入城しその守備に就く。その後、今度は従軍作家として徐州作戦に同道する。
 その様子が本になっている。上海上陸作戦が『土と兵隊』、杭州守備が『花と兵隊』、徐州従軍記が『麦と兵隊』。合わせて『兵隊三部作』として当時のベストセラーになったという。作家が実体験を書くわけだから貴重な記録と言えるだろう。
 ただ、これらはいずれも戦中に刊行されており、当然、検閲も経ているはず。陸軍当局の意に適わぬものは出版できないわけだ。そのため火野は戦後、戦争協力者として断罪されている。そうした状況も頭に入れながら読む必要がある。

 本書を読むかぎり、帝国陸軍は、敵兵に対しては仮借ないが、軍紀はわりあい保たれていたようだ。徒に一般民に手出ししたりしない。逃散して不在になった農家から鶏や農作物を徴発するくらいだ。
 大都市である杭州を守備している時には、空き家を兵舎として勝手に使ってはいたが、物資の強制徴発は行わず、必要なものは現地人に対価を払って購入していたようだ。

 今、国際問題となっている「慰安婦」についての記述は何もない。杭州では兵隊たちにかなりの自由はあったようだが、男たちだけで楽しくやっている。中国娘との恋愛もある。しかし「女を買う」という話は一切出ない。古来より、苦しい進軍を強いる場合、略奪・強姦という人参をぶらさげて兵士をモチベートするものだが、本書の中の帝国陸軍はそうしたことを一切していない。
 みんな「祖国のためなら喜んで命を捧げる」という姿勢なのだ。著者にしてもしかり。オレの大学学部の先輩にあたる人だが、在学中に左翼思想にも触れ、芥川賞を取るような作家であるにもかかわらず、「喜んで命を捧げる」だと。オレも戦争に駆り出されたら同様に思うのだろうか。今でも顕著な島国的均一性で、国がひとつの家族的なまとまりを呈し、ファミリーを守るというオスの本性が発揮されるのだろう。その点、中国は国土が広く多様なので、兵隊同士言葉が通じないこともあるらしい。いわば寄せ集め、ギリシアを攻めたペルシア軍みたいなものだ。そのあたりに日本陸軍の強さがあったのだろう。(しかしモノには程度があって、いくら家を守るったって、圧倒的に国力の違う米国を相手にしたら通用しない)

 やはりオレの学部先輩にあたる作家、田村泰次郎の作品になると、これがたいぶ違う。同じく中国戦線に出征しているのだが、一般民に対する虐殺・強姦(『裸女のいる隊列』『失われた男』)、家畜同様に使役される朝鮮人慰安婦(『蝗』)などが描かれる。小説だからホントかどうかわからぬが、おそらく似たようなことがあったのだろう。そうして部隊の士気を保つわけだ。お国のためってのは、あまり出てこない。
 これは田村の作品が戦後に書かれたということもあるだろう。敗戦の前と後ではガラッと変わるからな。はたしてどちらが本当か。おそらく両方なのだろう。

 とにかく戦争大好き。その原動力は、家族を守る、略奪、女。
 だとしたら、戦争をなくすには、家族の解体、豊かな社会、性エネルギーの変容…かな。(最後がいちばん難しいかも)
 
日支事変 ― 戦場の風景
福田貂太郎(てんたろう)という画家がいる。
徴兵に取られ、日中戦争に従軍する。
その体験を描いた著書『いくさのにはの人通り』。
戦の庭とは、すなわち戦場。

昭和12年に、特務兵として召集され、14年に除隊となる。
大戦を生きながらえ、昭和54年に本書が出版される。
なかなか面白い本だ。
応召したとき三十過ぎだったというから、どっちかと言えば老兵だ。
三十過ぎの小柄な画家まで駆り出すくらいだから、当時既に日本の人材も払底していたわけだ。
将来を嘱望された新劇の友田恭助も同じころ上海郊外の沼沢で散っている。

入営が嫌で仕方なかった福田だが、時流には抗う術もない。
中国に送られ、輜重兵特務兵、いわば車夫の二等兵として従軍する。
軍隊の一番下から見た風景を、得意の絵と、短歌と、散文で表現する。
その、一歩退いた、淡々としたスタイルが良い。

もともとが中国語も堪能な教養人だ。
侵略側ではあるが、現地の中国人とも様々な触れ合いがある。
農夫、若者、少年、商人、豪商、兵士、赤子⋯。
まず語りかけてみよう ― それが福田の姿勢だ。
もし、日米戦争で本土決戦になっていたら、ウチの近所でも米兵との間にこういう風景が展開されたかもな。

お互い、一歩退けば、中身は同じようなものだ。
そこに気づけば、表面上の違いも楽しめる。
そんなことを感じさせる良書だ。
絶版だが古書なら手に入るようだ
というか、こういう本こそ、散文と短歌だけでも、デジタル化してくれればと思う。
『どうせ死ぬならガンがいい』
中村仁一&近藤誠という二人の医師/医学者の対談。
基本的には医学者・近藤氏が主役だ。
医学的にはいろいろ異論はあるんだろうが、けっこう面白い。

要点を言うと以下の通り;
ガンには真性ガンとガンモドキの二種類ある。その二種は判別できない。
真性ガンだと発見される頃にはもう転移してるからどうしようもない。
ガンモドキだと放っておいてもそれほど害はない。
手術や抗ガン剤は苦しいだけで、たいした効き目はない。
真性ガンの場合、放っておけば、安らかな死が訪れる。
だからガンを目の敵にする必要はない。

大筋を言うと以上の通りだ。
ただ、抗ガン剤の効くガンもあるし、放射線治療についてはあまり触れられない。
ともあれ、人間いずれ死ぬんであるから、真性ガンになったら、じたばたせずに、潔く逝ったらいいというわけ。

ここ数年、同世代の友人たちが何人もガンで逝っている。
他人事ではないのだ。
潔く逝けるよう日頃の精進が肝要。
葉隠ではないが朝毎に懈怠なく死して置くべしである。
書評「恩寵の扉が開くまで ― 完結編」
驚愕の書である。
というのも、オレが出てくるから。
それも、悪魔として出演。
修行に励む著者キヨタカを誘惑し、その歩みを邪魔するのである。
時は2004年春、ハワイ島でのこと。

まあ、しかし、修行には悪魔がつきものだ。
その昔、ナザレのイエスも、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、荒野で40日にわたって悪魔の誘惑を受ける。
そして、その試みに屈することはなかった。
しかるにハワイのキヨタカ氏は、P氏による誘惑に、わずか3分で屈するのであった。
ほとんどボンカレーと変わるところがない。

天野清貴による「恩寵の扉が開くまで」三部作の完結編。
副題に「フーマンを超えて」とある。
基本的にフーマンとの対話篇だ。
キヨタカの初作「アジズとの対話」から数えて四作目。

インドからハワイに至るその四作の舞台に、オレもだいたい居合わせていた。
そして同じようにアジズやフーマンからセッションを受けていた。
しかし、このように書籍にすることはないだろう。
あまりに個人的なので他人が読んでも面白くはあるまい。

その点、キヨタカはみんなを代表して質問しているような風情がある。
だからオレが読んでもタメになるのだ。
アナタにとってもきっとタメになるであろう。

「これ」なのだよ「これ」
Oshoものたまっておられた ― 「これ、これ、一千遍もこれ」
This! This! A thousand times This!