ぱるばか日誌 2017
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ダマシオ『デカルトの誤り』
 脳科学の古典だという。
 オレにはかなり難解で、この2ヶ月ほど本書と格闘し、2〜3度繰り返し読んだ。
 著者アントニオ・ダマシオはアメリカ在住の高名な神経生物学者だ。

 本書の導入部は、よく知られたフィネアス・ゲージの一件。
 19世紀アメリカに実在した男だが、事故により前頭葉を損傷した後、人格が一変する。
 これは人間精神に関心を抱く者にとって、看過できぬ話だ。
 人格って、脳なの!?

 有為な青年であったゲージは、脳損傷の後、いわゆる「KY」になって、世渡りができなくなる。
 知能や運動能力には何の問題も見られなかったにもかかわらずだ。
 本書の中でダマシオは、ゲージに類似する患者たちの分析を通じ、ゲージの問題点は「情動や感情が減少したこと」および「意志決定が上手くできなくなったこと」とする。

 この情動と感情というのが本書のポイントだ。
 情動とはemotion、感情とはfeelingで、情動は物事に対する身体の反応、感情はそれが脳に反映されたもの。
 ダマシオによると、行為の選択に関しては、まず身体が「モノを言う」。
 必ずしも、アナタ、ないしは意識が、思考して決めているわけではない。
 行為の選択肢は無限にある。それをいちいち思考していたら何もできない。だからまず身体が選択肢を篩にかけ、自動的すなわち無意識的に行為するか、あるいは、意識の俎上に上げて意志決定する。
 これが「ソマティック・マーカー仮説」と呼ばれる有名なダマシオ説だ。
 その身体のコトバが、すなわち情動というわけ。最も一般的な情動は、喜び、悲しみ、怒り、恐怖、嫌悪。
 それを更に遡れば、その基礎には有機体の「痛み(pain)と歓び(pleasure)」がある。(邦訳では苦と快)。こうした痛みや歓びの仕組みは生得的なものであり、「我々はそのようにできている」。

 こうした身体の情動から、それに対応した感情が生まれる。喜び、悲しみ、怒り、恐怖、嫌悪の感情だ。
 ただ、それより進化的に先立つ感情がある。背景的感情というものだ。
 情動から生まれる通常の感情よりも、もっと頻繁に経験されるものだ。
 この背景的感情は、通常の感情ほど起伏は大きくなく、内臓の状態を反映したものだと言われる。

 静かに瞑想しているとき感じるのは、この背景的感情なのではないか。
 ヨガではまずハタ・ヨガで臓器を整えるが、理にかなった行法だと言えるだろう。
 瞑想状態では肚のあたりからえもいわれぬ快感が湧き起こるが、それが背景的感情なのかも。
 腸には脳に匹敵するほどの神経細胞が集積しているというが、本書ではそれについて何も語られていない。

 有機体の基礎に痛みと歓びがあるのは、その有機体の生存を維持増進するためだ。
 たとえば、痛みがあると、そこから苦しみという情動が生まれ、人はそれに注意を向け、最善の防御をする。
 ともあれ、痛みと歓びという仕組みの上に身体と脳が構築され、情動と感情によって行為が選択されるとしたら、我々はほとんど生物ロボットみたいなものだ。

 ただ、「痛みの風景」は、神経伝達物質や神経調節物質によって脳内で加減される。たとえばエンドルフィンの放出は「痛みの風景」を打ち消したり弱めたりする。
 このへんが不思議なところだ。生体維持に役立つ痛みを、生体が打ち消してしまうわけだ。
 いったん注意が向けられれば、それ以上の痛みは不要ってことか。
 また、その「不要」ってのは誰が判断するのか。
 「瞑想とは精神的麻薬」という言葉があるが(Osho)、自分で勝手にエンドルフィンを出して最も基本的な生体の仕組みを無効にしようというわけだから、そのあたりのメカニズムも興味あるところだ。
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