菜食という信仰
2013.11.01 Friday
昨日、故あって、昼夜、外で玄米食をした。
昼は世田谷ものづくり学校のカフェ、夜は吉祥寺のマクロビオティック。
前者はウマかったが、後者はイマイチだった。
何が違うかというと、前者の料理には魚介が使われていて、後者は完全ベジ。
マクロビというと、オレも学生時代に出会って、桜沢の著書にも親しんだことがある。
言ってみれば、信仰なわけだ。
信仰がないと食えない料理だと思う。
弊社のカフェでも、シェフ・ラケッシュが完全ベジで料理を供する。
これはオレみたいな不信の徒でもじゅうぶんウマい。
この違いは、ひとえに、信仰の長さだな。
人類はそもそもベジタリアンじゃない。
雑食だ。
それがベジるってのは、そこにベジ信仰が介在するからだろう。
言うなれば不自然な営為なのだ。
インドでは数千年前にベジ信仰が出現し、それが現在に至るまで強烈に存在している。
それゆえベジでも強烈にウマかったりする。
数千年を経て、信仰が文化になったわけだ。
その一要素が多種多様のスパイスの存在だろう。
日本食のベジに関して言うと、一般の文化になるまでにはまだ時間がかかるかもな。
昼は世田谷ものづくり学校のカフェ、夜は吉祥寺のマクロビオティック。
前者はウマかったが、後者はイマイチだった。
何が違うかというと、前者の料理には魚介が使われていて、後者は完全ベジ。
マクロビというと、オレも学生時代に出会って、桜沢の著書にも親しんだことがある。
言ってみれば、信仰なわけだ。
信仰がないと食えない料理だと思う。
弊社のカフェでも、シェフ・ラケッシュが完全ベジで料理を供する。
これはオレみたいな不信の徒でもじゅうぶんウマい。
この違いは、ひとえに、信仰の長さだな。
人類はそもそもベジタリアンじゃない。
雑食だ。
それがベジるってのは、そこにベジ信仰が介在するからだろう。
言うなれば不自然な営為なのだ。
インドでは数千年前にベジ信仰が出現し、それが現在に至るまで強烈に存在している。
それゆえベジでも強烈にウマかったりする。
数千年を経て、信仰が文化になったわけだ。
その一要素が多種多様のスパイスの存在だろう。
日本食のベジに関して言うと、一般の文化になるまでにはまだ時間がかかるかもな。
ただ、長さではなくて、インドの信仰と、正食の信仰は、同じことばをあててもぜんぜん違うってことですね。
では明日よろしくお願いいたします。