ぱるばか日誌 2017
<< August 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< EVで1万km | main | NHK『臨死体験』 >>
『意識をめぐる冒険』
岩波書店から先月発売された新刊。
著者はアメリカの脳神経学者クリストフ・コッホ。原著は三年ほど前に書かれたものだ。
原タイトルは『意識』。原副タイトルは『あるロマンチックな還元論者の告白』。
このタイトルは様々なことを語る。
まず著者は還元論者だ。すなわち、すべてを物理現象に帰する科学者だということ。
ただし、ロマンチック。すなわち、単なる科学者ではなく、哲学や歴史、文学や音楽などに広く親しんでいる。
そして、告白。「意識」を探究している自分はどんな人間なのか、という自伝的要素も含む。

意識の探求というのは、非常にトリッキーだ。
そもそも、意識という言葉自体、定義がハッキリしない。
自己、思考、精神、魂、覚醒…そういった要素もからまってくる。
意識が意識のことを探るのだ。そんなことが可能なのだろうか。
意識を科学的な手法で研究するというのは、つい最近始まったことのようだ。

著者はフランシス・クリックの弟子。
クリックはDNAを発見した後、脳科学に転じ、意識の研究に携わる。
著者はその分野でクリックの共同研究者でもあったから、きっと意識研究の先端を行く人なのであろう。
それゆえ、本書では、同分野の最新の一端を垣間見られるというわけ。

しかし、基本的に還元論者だからな。
先日ご紹介した『プルーフ・オブ・ヘブン』とは立場が違うのだ。
意識は脳の産物なのである。

霊肉二元論、すなわち肉体とは別に意識が存在するという立場にまつわる弱点のひとつは、精神と物質の接点だ。
エネルギー保存の法則から言って、精神が物質すなわち肉体に影響を及ぼすのは、物理学的に不可能だ。
量子力学のゆらぎを持ち出すのも、チトありそうもない。(このあたりはまだ不確定)
それから人間以外の生物の問題もある。たとえば動物に意識や魂があるのか。
犬などを見ると、意識はあるように見える。
だったら、爬虫類や魚類はどうか。ミミズやバクテリアはどうか。ウィルスは。あるいは植物は。
意識がないとすれば、どこで線引きするのか。

一方、還元論については、いかにして物質から意識が生じるという点が、なかなか示しづらい。
そこで著者の持ち出すのが、汎心論。
すなわち、すべてのモノが心を持つということ。スピノザの汎神論、ライプニッツ「モナド論」の現代版だ。
モノには内と外があり、内が意識で、外が物理だ。
これを性質二元論 property dualismと言うのだそうだ。

著者はジュリオ・トノーニの統合情報理論を援用し、モノがシステム化すれば意識レベルが上がるという。
単に情報が多ければ意識レベルが高いとは言えない。
たとえば、パソコンのHDなど情報量は多いが、意識レベル高いとは言えない。
大事なのは、その内部で情報の相互作用(やりとり)があるかどうかということ。
情報量が多く、かつ、その相互作用が多いほど、意識レベルは高い。
その頂点が人間だということ。

さて、オレに言わしむれば、意識レベルの上昇は、必ずしも幸福には結びつかない。
意識レベルの上昇とは、情報の相互作用によって、より先を見通せるということでもある。
先を見通し過ぎて今の幸福を味わえないのが、人間というものだろう。

 悠然として山を見る蛙かな 一茶

何も所持しない小さな蛙が、ただ山を見ている。
意識レベルの高すぎる人間には、そうした余裕すらない。
余裕があると、「意識の起源とは何か」みたいな余分なことを考えて頭を悩ませたり。
信号待ちの間エンジンを空ぶかしする暴走族のようなものだ。
オレのEVみたいに、停まった時には無音になる。
それが瞑想というものだろう。
COMMENT









Trackback URL
http://parpar.jugem.jp/trackback/274
TRACKBACK