ぱるばか日誌 2017
<< January 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 孟宗を焚く | main | モバイル火鉢 >>
〈わたし〉はどこにあるのか ― ガザニガ脳科学講義
 今年9月に邦訳出版された本。
 原題は「Who's in Charge」。著者はアメリカの神経学者。

 「わたしはいない」というのは、神秘家たちのよく口にする言葉だ。
 神経科学者たちによると、わたしというのは脳の産物だ。
 本書によると、わたしとは「脳のインタープリター・モジュールが紡ぎ出したストーリー」なんだそうだ。

 現在の神経科学によると、脳というのは総合的な単一のプロセスではなく、無数の専門的な回路(モジュール)の集合体だ。そこに中央統轄本部はなく、野放しの自主管理が行われている。
 そこに「わたし」という統一感を与えるのが、左脳にある「インタープリター・モジュール」だ。
 脳は並列処理によって様々な行為選択をするが、このインタープリター・モジュールは事後にその選択について常に解釈や説明を施す。後づけの解釈プロセスだ。
 このモジュールが常に稼働を続けることにより、わたしというアイデンティティーが保たれる。
 以上が本書の中に描かれる〈わたし〉のありかだ。

 この解釈活動により、体験が記憶という形で貯蔵され、後々の活動に利用されるのであろう。
 その解釈が良質かつ豊富であれば、より生存に有利に働くはず。
 そうして人間は進化してきた。
 〈わたし〉がこのモジュールに付随するものとすれば、人間は進化に従って我が強くなるということだ。

 神秘家の言う「わたしはいない」とは、現代神経科学的に言うと、そのモジュールの減速ということになるだろう。
 おそらく、このモジュールの稼働には、何らかの代償が必要だと思われる。ちょっと苦労だとか。
 カネと同じで、解釈や記憶も充分に貯蔵されれば、それ以上はほどほどで良かろう。
 いつまでも延々と代償を払って同モジュールを稼働させ続ける必要もあるまい。
 知足ということか。
COMMENT









Trackback URL
http://parpar.jugem.jp/trackback/298
TRACKBACK