ぱるばか日誌 2017
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ドゥアンヌ『意識と脳』
 フランスの認知神経学者スタニスラス・ドゥアンヌの著作。昨年9月に邦訳刊行。原著は2014年。
 「意識」について、様々な実験を通じて考究する。その実験は著者自身によるものもあるし、他の研究者によるものもあるが、なかなかに興味深い。
 まず問題となる「意識」の定義であるが、著者は、自由意志や自己意識などの難題はひとまずおいて、「コンシャス・アクセス」を俎上に置く。それはすなわち「意識に載せる」あるいは「意識される」という現象だ。

 その「コンシャス・アクセス」すなわち「意識に載せる」以前に、人間すなわち脳は、無意識的に様々な事象を処理している。その守備範囲は広く深い。意識によって処理されることは限られている。
 なぜ意識が存在するのかというと、それが生存に有利だからだ。意識することにより、情報が処理&保持され、脳の広汎な部位に伝達され、様々な処理が施され、実施される。無意識的な処理より時間はかかるが、異次元の飛躍が可能となる。
 この「コンシャス・アクセス」は脳を対象とした計測機器によって測定可能だ。

 意識のスペースは限られており、通常、意識対象はひとつに限られる。
 その意識対象の選択は、注意によって行われる。何に注意を向けるかは無意識的な作用だ ― 「私たちの脳には、周囲の世界をつねにモニターし、それによって得られる情報に、注意を導き思考を形成する価値を付与する、一連の巧妙な無意識の装置が備わっている」(p.113)のだそうだ。
 このあたりは、ダマシオの「ソマティック・マーカー仮説」を思わせるものがある。ダマシオ説によると身体が行為を選択するのであるが、それに徴して言えば、身体が何かに注意を向けさせて意識を起動するということか。
 ダマシオに関連してもうひとつ言えば、ダマシオによると自己があって初めて、意識は生ずるとされる。なんとなれば、自己によって指向性が現れ、方向性すなわち「目的」が生じるからだ。ドゥアンヌにおいて、注意が向けられる判断基準は「価値」と表現されるが、その価値が何に由来するのか語られることはない。本書では自己についても語られることはないが、それは今後の課題ということか。

 著者はかなりハードな還元論者の印象だ。自由意志にしろ主観性(クオリア)にしろ、問題なくニューロンの活動に還元できるという。フランス合理主義の伝統か。
 自己がどういうメカニズムで生じるのか聞いてみたいものだ。
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