ぱるばか日誌 2017
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「死」とは何か
 最近読んだ本のタイトル。
 著者はシェーリー・ケーガンというアメリカの哲学者。「イェール大学で23年連続の人気講義」の書籍化だそうだ。
 著者は物理還元論者。すなわち精神作用は脳の物理現象にほかならないという立場。それで、肉体の死はすなわち全ての終わり、ということを前提にしている。(そのあたりの詳細は邦訳ではカットされている)。だから、魂の不滅とか、永遠の生、とかは存在しない。
 しかしながら、永遠の生など、良くても退屈にほかならないし、良くなかったら永遠の苦悩なわけだから、死は救いなんだそうだ。

 ま、そのあたりは良いとして、ちと思い当たったことは…
 死とは、「永眠」などと言われるわけだ。
 本書でもときどき死と眠りは同様に扱われたりする。

 思えば不思議なことだが、動物はみな眠る。
 なぜ眠るのか? これは、身体を休めるためとかいろいろ言われる。しかし、眠っている時間は不活動なのだから、もったいないではないか。限られた人生なんだから、ずっと覚醒していれば良いのに。
 しかし、これは、逆なのではないかと思う。問題は、なぜ眠るのかではなく、なぜ覚醒するかだろう。
 世界には眠りしかないのだ。ところが、たまたま、あなたや私が覚醒する。
 生まれる前も、死んだ後も、眠りしかない。その間に、たまたま、あなたや私が覚醒するのだ。
 あなたや私は毎晩、眠りに入る。また覚醒するという保証は何もないのだが、たまたま、今日も覚醒している。
 覚醒しなくなったら、それがすなわち死ということなのだろう。
 毎晩の入眠、あるいは午睡の入眠、それはけっこうな至福タイムではないだろうか。
 死んだことはないのでわからないが、入死もけっこうな至福かも。
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