ぱるばか日誌 2017
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ダグラス・ホフスタッター『私は不思議の輪』
 「私」あるいは「意識」とは何かを扱う。
 結論から言うと、私とはひとつの方便であり、実在するものではない。
 実在すると仮定したほうが便利だというだけの話。
 すなわち、還元論的な一元論だ。

 どのようなプロセスで私が現れたかというと、まず知覚の存在だ。
 知覚とは、途方も無く雑多な入力の中から何物かを抽象的なシンボルへと分別すること。たとえば、視覚的に赤くて丸っこい入力があったら、「花」というシンボルの中に入れ込み、そうして現実が解釈され、それに対する反応が起こるわけだ。
 その知覚が自分自身に向けられると、そこに私が出現する。自分自身に向けるわけだから、そこにループがあり、すなわち「不思議の輪」なわけ。

 だから、私はいないのだ。
 これはブッダもOshoも言っている。

 還元論者はみな、私はいないと言う。
 物質のどこを見ても意識なり自我はないからだ。
 著者によれば、物質以外の何ものかを措定する考え、すなわち二元論には、多くの問題がある。
 物質のみの一元論は、スッキリだ。だから私はいない。

 実際、自分自身を顧みても、普段、私なるものはいない。(オレの場合)
 ときたま現れるだけだ。
 私はいないのだから、私にまつわるいろんな悩みも幻に過ぎないわけで、これは気楽なことだ。

 本書は2007年に出版された本だから、神経科学の最近の展開から見ると、ちょっと時代モンかも。
 それが昨2018年に邦訳出版されるわけだから、科学啓蒙書であるとともに、文学的な価値があるということだろう。
 たしかにいろいろ楽しい部分がある。
 オレなんか、つい、シュヴァイツァーのバッハオルガン作品CDを買ってしまった。アフリカの聖者と呼ばれた人のモノラル演奏だ。80年も前の。
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