ぱるばか日誌 2017
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ダマシオ『進化の意外な順序』
 アントニオ・ダマシオの邦訳最新作。オレの知る限り第五作目だ。弊ブログでは過去四作を以下の通り紹介している。
 (一冊目『デカルトの誤り』原著1994年。二冊目『無意識の脳・自己意識の脳』原著1999年。三冊目『感じる脳』原著2003年。四冊目『自己が心にやってくる』原著2010年)
 この五冊目『進化の意外な順序』は原著が昨2018年で、かなり最近。それゆえ随所で今日的なトピックにも触れられて楽しめる。
 しかしながら難解なのは相変わらずで、オレもここ一月半ほど本書と格闘したかも。
 本書は全体的には、前掲四書の所論を人間社会に敷衍する試みと言うことができよう。
 三部に分かれ、第一部が生命の誕生から神経系の発生まで、第二部が心(mind)から意識まで、第三部が社会すなわち文化を扱う。

 第一部と第二部は、基本的に前掲四書の所論に重なる。
 すなわち、何かの具合で生命が誕生し、その生命は「どうにか生き抜き、発展する」という強烈なサバイバルの意図を宿している。それが変異と淘汰によって進化し、神経系を持つことによって心を持ち、更には意識を持ち、それを発展させることによって現在見る人類が誕生する。
 この最初の生命(すなわち最も原始的な細菌)から人間に至るまで通底する要素が、サバイバル意志と、それを可能にする内的な状態であるホメオスタシスだ。
 このホメオスタシスの向上が「快」であり、悪化が「不快」だ。この原初の快不快が原動力となり、細菌から人間までの進化が起こる。
 ただ、細菌が快不快を「感じ」ていたわけではない。ただ突き動かされていたというだけだ。感じるためには、神経系が必要だ。
 神経系の始原は、先カンブリア代に出現した刺胞動物などに具わった「神経網」だ。
 この神経網は、人間の腸管神経系によく似ている。それゆえ著者は、腸管神経系は巷に言われる「第二の脳」ではなく、実は「第一の脳」なのではないかと考える。(現生の刺胞動物であるヒドラは、消化器系が支配的な生物で、泳ぐ腸みたいなものだ)

 このあたりはオレにとって大いに我が意を得たり、なんである。
 ダマシオは身体を重視する「思想家」であったが、腸に言及したのは今回が初めてではないか。
 瞑想によってマインドの支配を弱めると、決まって感じられるのが、腸のあたりの快感である。
 著者によると、生命維持の肝は呼吸と栄養摂取であるが、空気中から酸素を摂取する営為に比べ、栄養摂取はずっと複雑なプロセスであるゆえ、腸には脳に匹敵する神経細胞が配置されている。
 先進国に住む現在の我々の生活水準では、栄養摂取に関しては、過剰の方が深刻であるくらいに恵まれている。それゆえ、腸管神経系はほとんどの場合、OK信号、すなわち「快」を発信しているはずだ。無心の状態になれば、そこにあるのは第一の脳たる腸の満足感であり、それこそが瞑想の何たるかであろう。
 ともあれ、ダマシオによると、消化管と腸管神経系は感情や気分の形成に重要な役割を果たすということだ。

 ホメオスタシスの状態は「静かな感情」という形で、常に背景的に感じられる。内蔵の状態をモニターしたものだ。こうした背景的感情についてダマシオは「瞑想の実践者が到達を目指すたぐいの純粋な存在の境地」と語る。これはオレがダマシオの一冊目『デカルトの誤り』を読んだ時にまさしく感じたことだ。著者が瞑想について語るのもこれが初めてではないかと思うが、こうしたダマシオの指摘は瞑想者にとってひとつの参考となるものであろう。
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