ぱるばか日誌 2017
<< July 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< ダマシオ『進化の意外な順序』 | main |
『生き物の死にざま』稲垣栄洋
 動物の様々な死にざまを描く、ちょっと驚くべき本。
 たとえば、我々にもお馴染みのハサミムシ。その雌は苦労して孵した卵から生まれた我が子たちに自らの身体を生きながら食わせ、そして死んで行くのだという。痛いのか、快いのか? 人間の母親も自らの養分を授乳というカタチで我が子に食わせるが、それに似た感覚なのであろうか。
 多くの昆虫や魚類は、性交や産卵を終えると命を閉じるらしい。そうした生物には、老衰とか介護とかの問題がないわけで、うらやましい死に方かも。

 ところで、本書によると、生命の発生が38億年前。そして「死」が現れたのが10億年前。その間の28億年間は、生物に死はなかったのだという。というのも、その間、生命は単細胞生物の分裂というかたちで増えて行ったからだ。もちろん事故や捕食による死はあるのだが、老衰による自然死はない。だから、運が良ければ何億年も生きられるということになる。
 ただ、ここで生まれる素朴な疑問は、細胞分裂した場合、「私はどうなるか」ということ。早い話、今このオレが二つに分かれてそれぞれ個体になった場合、オレはどっちに行くの?という問題。これは単細胞生物に限らず、たとえば、下等なミミズの場合、二つに切ったら、二つの個体が生まれるわけだ。さてオレはどっちに? こういう疑問は、そもそも「私」という方便によるものだろう。
 死についてもそうだ。死について心配する生物は人間だけだろう。それでこんな本も書かれる。人間以外の生物は、ただ坦々と生き、そして消えていくのみだ。人間にしてもだ、平生は死のことなど考えもしないだろう。たまたま、他人や他動物の死を見聞きした時、それを我が身に引き寄せ、恐怖したり、ときには羨望したりするのだろう。
 生き物には、そもそも私も死も無いのだ。
COMMENT