ぱるばか日誌 2017
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GC滞在記:献身の道
二年半ご無沙汰していたから忘れていたが、改めて基本的な教えを通訳してみると、けっこう良いことを言っているのだ。
内容は忘れてしまった。
右から左だからな、通訳ってのは。
興味ある人は最寄りのトレーナーに聞いてくれ。日本にもう200人くらい居るんじゃないか。
とにかく献身の道なのだ。
理屈はない。

あるセッションで、中村好文氏に似た年嵩のダーサがこんな話をしてくれた。
インドでは昔から知性の道の人と献身の道の人がずっと論争を続けてきたという。
瞑想派とハート派の論争とも言い換えられるだろう。
そして常に知性派が論争に勝つ。
そして常に献身派の足許に伏す。
のだそうだ。

すなわち、献身の道のほうが容易だということ。
日本でも念仏門は「易行」と呼ばれている。

Oshoもかつてこんな話をしていた。
ちょっと長いが引用しよう:

ベンガルのもっとも優れた頭脳のひとりケシャブ・チャンドラが、あるときラーマクリシュナに会いに行った。
ただ会いに行ったばかりでなく、論破しに行った。
ラーマクリシュナは無知無学で、まったく学者ではなかった。
一方、ケシャブ・チャンドラといえば、今までインドの大地に生まれた中でも、とびぬけて優れた頭脳を持ち、とびぬけて鋭く論理的な知性を持った人間だった。ラーマクリシュナが論破されるのは目に見えていた。
ケシャブ・チャンドラがやって来たとき、カルカッタじゅうのインテリはダクシネシュワールに集まって、ラーマクリシュナが論破されるのを見ようとした。
ケシャブ・チャンドラは論議を始めた。だが彼はきっとひどく奇異に感じたに違いない。
というのもラーマクリシュナが彼の論議をじつに楽しんでいたからだ ― いやむしろ異常に楽しんでいた。
神の存在を否定する論議を持ち出すと、ラーマクリシュナは跳ねたり踊ったりする。
彼はひどく奇異に感じた。そこで言った ― いったいなにをしている。私の議論に答えないのか。
するとラーマクリシュナはこう言ったそうだ ― あなたを見ていると、私の信頼はますます強くなる。それほどの知性は神なしには不可能だ。
これが感じるタイプの人間の見方だ。
そして私は予言する ― ラーマクリシュナは言った ― そのうちあなたは、私以上の献身者になる。なぜならあなたの方が優れた頭脳を持っているからだ。そんな頭脳を持っているのに、どうして神と戦えるだろう ― そんなに鋭い頭脳を持っているのに……。私のような馬鹿者でさえ、阿呆者でさえ、到達したのだ。どうしてあなたが到達せずにいられよう。
彼は怒らなかった。論議しなかった。だが彼はケシャブ・チャンドラを打ち負かした。ケシャブ・チャンドラは彼の足に触れ、そして言った ― あなたのように論争が役に立たない有神論者は初めてだ。あなたの目を見ると、あなたを見ると、そして私に対するあなたのふるまい方を見ると、初めて私は、神は可能かもしれないと思う。あなたはなんの証拠も示さないが、あなた自身が証拠だ。
(ヴィギャン・バイラヴ・タントラ第3巻『第三の眼』第8章)
すばらしいお話ですね〜。
感動しました・・・☆☆☆
ナオミンゴ | 2010/08/14 01:34
ぱるば、ありがとう。
ハートから溶けました。
そう、本当に神なしでは、不可能なのですね…。
| 2010/08/14 14:02
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