ぱるばか日誌 2024
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明日ヒマな人へ
明日の9月29日(日)。
私ぱるばはこんな催しに出演。
Golden Earth Celebration
場所は東京・小田急線鶴川駅徒歩3分。

我が義妹の主催で、私は太鼓を敲いたり、気合を発したりするわけである。
我が師Oshoにつながる人々が多いんだけどね。
興味ある人はどうぞ。
イソギンチャクの意識
藤田紘一郎『腸内革命』を一読。
これもおもしれー本だ。
前々から気にかかっていたのだ。腸は。
瞑想のキモである臍下丹田って、ヘソの下三寸、内側だろ。だったら腸じゃん。
自ら腸内にサナダムシを飼っているという腸博士の御説を伺おう⋯

これは驚いた。
幸福物質であるドーパミンやセロトニンは、腸内で細菌が作っているというではないか。(エンドルフィンやオキシトシンについての記述はない)
そもそも、セロトニンとは、もともと腸内細菌間の伝達物質だったのが、人間の脳内の神経伝達物質に採用されたという。
もっと言うと、そもそも、生物は腸だったのだ(腔腸動物)。進化の系譜を辿ると、まず腔腸動物の消化管内に神経細胞が現れ、しかる後に、進化の過程で脳なる神経細胞が現れた。
今、腸は「第二の脳」とか呼ばれているが、だとすると、腸の方が第一の脳ってわけじゃないか。

体内のセロトニンに関して言うと、その90%は腸内に存在し、脳にはわずか2%しかないという。
著者によると、その2%で我々の幸不幸が左右されるという。
そうじゃあるまい。
幸福はズバリ、腸にあるのだ。
これについては我が乏しき瞑想体験とも一致する。幸福は丹田にある。
特に、セロトニンやドーパミン生成の中心になるのは小腸の後半3/5にあたる回腸という部分で、これなどまさに臍下丹田ではあるまいか。
丹田という名称が言い得て妙である。丹とは霊薬、田はその温床。

ここで気になるのは、そもそも「自分とはどこに居るのか」ということ。
我々は通常、自分は頭に居ると思っている。
日本人が自分を指さす時、人差指は鼻の辺りに向かう。(西洋人の人差指は胸に向かう。これはハートであって、キリスト教の影響だろう)
クラゲやイソギンチャクなど腔腸動物だったら、きっと腸を指さすであろう。そもそも腸しかないんだから。
無心の境地というのは、案外、腔腸動物の意識レベルにまで下降することかもな。
個体の発生は種の進化を辿ると言われるから、誰しも一度は母体内で腔腸動物だった時があるはずだし。

これで思い出すのは、4月に読んだダマシオの無意識の脳・自己意識の脳
この中でダマシオは自己を三段階に分けているが、その最も原始的な「原自己」というのが、イソギンチャク意識なんじゃあるまいか。
ダマシオによると原自己は脳幹で処理されるというが、腸を無視してやしまいかと思うのだ。
野菜をいっぱい食う方法
世の中、どの先生方に聞いても、野菜をいっぱい食いなさい、さすれば、健康で幸せになれる、とのたまふ。
と言われてもなぁ、とくに男の連中など、野菜!? そんなの面倒くせぇ、山羊さんじゃあるまいし、と思ってしまう。
そんな男どもでも、野菜をどうしても食わねばならぬ状況に追い込まれることがある。
すなわち、自分で畑を作る場合。

だいたい、畑っていうのは、天候次第だから、出来不出来があるのだ。
だから、いつも多目に育てることになる。
加えて、市販の野菜種子は、全部マトモに育ったら、数家族は養える分量なのだ。
そういうわけで、部分的に不出来があっても、全体的に見ると、とても食い切れないくらいの収穫となる。
畑で腐らすのももったいないから、食わざるを得ないのだ。
今のオレがそういう状況。
今日も、ゴーヤだろ、オクラだろ、ナスだろ、シシトウだろ、モロヘイヤだろ、空心菜だろ⋯
イヤっていうくらい食うことになる。ま、当然のことながら市販の野菜よりずっと新鮮でウマいんだけどな。
おかげで、健康で幸せになってしまうわけだ。
運動にもなるしな。

考えてみると、元来、日本人はみんなこうして生きてきたのだ。
江戸時代にしたって、八割が農民だったわけだろ。
まあ、領主の苛斂誅求はあっただろうが、大方において、その領主より健康で幸せだったんじゃないかと思う。
だから、諸君にしてもだ、いいかげん都会で金を稼いだら、早いとこ帰農して、畑を耕せば良いと思う。
地方は疲弊して、少子化だし、農地なんぞ有り余るほどあるのだ。
ウチだっていちおう都内だが、周辺に耕作放棄地などいくらでもあるんだぜ。
家賃だって聞くところによるとタダみたいなもんだ。岡山あたりに行けば。

そうすりゃ、別に原発なんぞ要らんだろうし、国債が暴落しても関係ないし、TPPってナニ?って感じ、絶海の孤島を巡って隣国と角突き合わせる必要もなく、楽しく生きられるんじゃないかと思うが、どうだろ。
Bach is Back
ちと英語のお勉強。

IOCの理事長にドイツのバッハという人が選ばれた。
東京開催と裏取引があったという。日独同盟だ。
で、Bachというのはドイツ語で小さな川という意味。小川さんだ。

こういう基礎的な単語は、同じゲルマン語系の英語にも存在するはず。
というわけで、ネットで調べると、brookという言葉がある。
英語で小川だ。似てるが、Rがどうも邪魔。

鹿児島大学で言語学を講ずるM.Gore教授に聞いてみると、英語にもBacksという言葉があるという。
ケンブリッジ方言で、やはり小川という意味だそうだ。
研究社の英和大辞典によると、「Cambridge大学のTrinity Collegeなどの裏手にある、Cam川のほとりの風景の美しい土地」とある。

というわけで、英国の片隅に化石の如く残っているようだ。
そういえば、むか〜し、CBSレーベルのバッハ名曲選にBach is Backってのがあった。
邦題は「バッハ復活」だったが、こういう語呂合わせの翻訳は難しい。
日支事変 ― 戦場の風景
福田貂太郎(てんたろう)という画家がいる。
徴兵に取られ、日中戦争に従軍する。
その体験を描いた著書『いくさのにはの人通り』。
戦の庭とは、すなわち戦場。

昭和12年に、特務兵として召集され、14年に除隊となる。
大戦を生きながらえ、昭和54年に本書が出版される。
なかなか面白い本だ。
応召したとき三十過ぎだったというから、どっちかと言えば老兵だ。
三十過ぎの小柄な画家まで駆り出すくらいだから、当時既に日本の人材も払底していたわけだ。
将来を嘱望された新劇の友田恭助も同じころ上海郊外の沼沢で散っている。

入営が嫌で仕方なかった福田だが、時流には抗う術もない。
中国に送られ、輜重兵特務兵、いわば車夫の二等兵として従軍する。
軍隊の一番下から見た風景を、得意の絵と、短歌と、散文で表現する。
その、一歩退いた、淡々としたスタイルが良い。

もともとが中国語も堪能な教養人だ。
侵略側ではあるが、現地の中国人とも様々な触れ合いがある。
農夫、若者、少年、商人、豪商、兵士、赤子⋯。
まず語りかけてみよう ― それが福田の姿勢だ。
もし、日米戦争で本土決戦になっていたら、ウチの近所でも米兵との間にこういう風景が展開されたかもな。

お互い、一歩退けば、中身は同じようなものだ。
そこに気づけば、表面上の違いも楽しめる。
そんなことを感じさせる良書だ。
絶版だが古書なら手に入るようだ
というか、こういう本こそ、散文と短歌だけでも、デジタル化してくれればと思う。
電気自動車の充電 (イオン編)
 現在開催中のフランクフルトモーターショーで、VWやBMW、ダイムラーやポルシェなど独国の諸メーカーがこぞってEV(電気自動車)やPHV(プラグインハイブリッド車)を展示している模様。
 今まで独国メーカーのエコ戦略の中心はダウンサイジング、すなわちガソリンやディーゼルエンジンの小型効率化だったが、ここに来て大きく様変わりしているようだ。
 やはり自動車の電化は世の流れなのである。
 我々の考えは正しかった!⋯と日産などは喜んでいるみたい。(あんまり売れてないんだが)
 ついでに、充電ポイントが増えてくれるとオレも嬉しいんだが。

 今回はそのイオン・ショッピングモール編。
 ウチの近所だと、イオン武蔵村山店に充電スポットが設置されている。
 急速充電器1台と200V充電器2台。いずれも無料。
 買い物している間に足代も面倒みてくれるんだから有難い。

 それよりも便利なのは、その充電用駐車スペース。
 上記のごとく3台分あるんだが、いつもどこかしら空いているのである。
 週末や連休中など、駐車場が大混雑している時でも、空いている。
 しかも、そのスペースは正面入口の真ん前というSS席なのだ。
 ガソリン諸車が空きスペースを求めて絶望的な徘徊を繰り広げる中、指定のSS席にスッと無音で乗り入れる感覚は実にVIPである。

 アレだよ。
 十数年前、ETCが出始めた頃。
 高速出口の料金所で延々と列を作る諸車を横目に、ETCゲートにスッと乗り入れる感覚。アレに近い。
 今はみんなETCだから、そんな優越感もないんだけど。
 イオンのSS席もいずれ普通になってしまうのだろう。
 っていうか、普通になって欲しいと思う。
納豆+卵+香菜+蔓茘枝
珍しいものを食った。

まず、納豆に生卵をひとつ落とすだろ⋯
これは信州あたりでよくやる。
その上にパクチーをゴソッとふりかけて、かき混ぜる。
それを御飯の上にかけ、ゴーヤーのぬかみそ漬けと一緒に食うのだ。

どう、コレ?
人生初の試みだ。
人類初かも。

けっこうイケる。
クセのある同士が互いに引き立て合う。
(打ち消し合うのか!?)
滋養もあるしな。

簡単で良い。
オレでもできる。
オペラで延命!?
おもしれー記事があった。
椿姫を聞かせてマウスが延命したという。
ホントかよ。
Ig Nobel賞受賞だという。そもそもこれはignoble(不名誉)のもじりだからな。

マウスに移植した心臓は、免疫機能によって通常は7日くらいでオダブツだが、音楽を聞かせると長生きするんだと。
・ヴェルディ「椿姫」 26日
・モーツアルト    20日
・Enya 11日

Enyaのカタカナ表記が気に入らねぇ。エンヤだとさ。
斎太郎節じゃあるまいし。エニヤだろう。誰だいったい⋯
ま、ビミョーに違うんだけどな。

で、音楽で免疫機能が抑制される ― これは、ignobleにしちゃかなり面白い研究じゃあるまいか。
過剰な免疫反応で悩んでいる人はあまたいる。
オレもそう。秋の花粉症だ。そろそろ鼻の調子がおかしくなってる。
アトピーの人も大勢いるし。
音楽で免疫が抑制されるとすれば、これは有難い。
マウスにも効くとなると、おそらく大脳辺縁系あたりが噛んでんだろな。
何らかの神経や神経伝達物質が関わってるのかも。

どんな音楽が効果大なのか知りたいところだ。
全体的な免疫力が弱まるんじゃ困るが。
花粉症にだけ効く音楽とかな、編み出せたら文字通り福音だ。
媾合の試練
秋口を迎え、外には精霊トンボが飛び交っている。
盆過ぎに出現するのでその名がある。
淡黄色で、飛行したまま、ぜんぜん止まらないのが特徴だ。
しかし別に楽しくて飛行しているわけではない。
採餌活動なのだ。
ときどき舞い上がってくる小昆虫を捕捉する。
つれづれに、しばらく観察してみた。

どうやらトンボは、捕捉した昆虫を丸ごと全部食べ尽くすわけではないようだ。
捕まえて、数秒で獲物を落下させる。
落下物は地面で這い回っている。
それにしても、晴れ上がった昼間、トンボの遊弋する中、ノコノコ舞い上がるなど、間の抜けた虫もいるものだ。

そんな虫を三件確認したが、いずれも雄アリだ。
よく見ると、腹部が食いちぎられている。
つまり、精霊トンボは雄アリの腹部だけを食って、残りは捨てるわけだ。
腹部を失った雄アリはやがて死を迎えることになる。

それでわかった。
生殖活動だったわけだ。
雄アリには翅(ハネ)がある。
その翅でパタパタと飛び立ち、空中で女王アリと性交して、その生を終える。
女王アリとの性交、それが雄アリの唯一の存在理由だ。
飛び立たないと、生きている意味がない。
勇躍飛び立つも、相手にたどりつく前、大方はトンボの餌食になるのであろう。
今まで地を這っていた虫だ。たいした飛翔力はない。
あはれその精液は、女王アリの腹に入る前に、トンボの腹に入るというわけだ。
滋養豊富かもな。

生物界最大の試練、セックス。
人間界もそうだ。
分別盛りのオヤジがしくじるのも、たいていはコレ。
おのおの方、ご注意召されい。
臨死体験と狸寝入り回路
先日紹介した書籍『死と神秘と夢のボーダーランド』。
著者によると、臨死体験はすべて脳内の現象として説明可能だという。

たとえば、多幸感。
臨死体験においては、多くの人々が、安寧を感じる。著者の調査では、臨死体験者の87%が安らぎを感じたという。
この多幸感は脳の報酬系(快楽中枢)に由来するものだ。

生命の危機を感じると、脳内でノルアドレナリンが分泌され、人は闘争/逃走モードに入る。
ところが、万策尽きて、死の縁に至ると、一変して、安らぎを感じる。
報酬系は大脳の中でも原始的な辺縁系の中の眼窩前頭皮質に存在する回路だ。
それゆえ、瀕死の安らぎは人間のみならず、もっと下等な動物にも存在する。
たとえば、狸寝入りとか。
狸よりもっと下等な、マナ板の鯉も同じかもしれない。
絶体絶命の危地に陥ったら潔く諦める。
これが生物にとって有効な生存戦略かもしれないと著者は言う。

なぜ瀕死の安らぎが有効なのか。
以下は推測だが⋯
捕食者の牙にかかったら、潔く諦める。
そうすれば、捕食者はゆっくりとその個体を食らい、その間に他の個体は逃れることができる。
もし、瀕死の個体Aが必死の抵抗を続ければ、捕食者は面倒になって別の個体Bを攻撃するかもしれない。すると、AもBも共倒れになる。
というわけで、狸寝入り回路を持つ動物が生き延びた、という次第。

ホントかなぁ⋯
ともあれ、死は安らぎであるらしい。