藤田紘一郎『腸内革命』を一読。
これもおもしれー本だ。
前々から気にかかっていたのだ。腸は。
瞑想のキモである臍下丹田って、ヘソの下三寸、内側だろ。だったら腸じゃん。
自ら腸内にサナダムシを飼っているという腸博士の御説を伺おう⋯
これは驚いた。
幸福物質であるドーパミンやセロトニンは、腸内で細菌が作っているというではないか。(エンドルフィンやオキシトシンについての記述はない)
そもそも、セロトニンとは、もともと腸内細菌間の伝達物質だったのが、人間の脳内の神経伝達物質に採用されたという。
もっと言うと、そもそも、生物は腸だったのだ(腔腸動物)。進化の系譜を辿ると、まず腔腸動物の消化管内に神経細胞が現れ、しかる後に、進化の過程で脳なる神経細胞が現れた。
今、腸は「第二の脳」とか呼ばれているが、だとすると、腸の方が第一の脳ってわけじゃないか。
体内のセロトニンに関して言うと、その90%は腸内に存在し、脳にはわずか2%しかないという。
著者によると、その2%で我々の幸不幸が左右されるという。
そうじゃあるまい。
幸福はズバリ、腸にあるのだ。
これについては我が乏しき瞑想体験とも一致する。幸福は丹田にある。
特に、セロトニンやドーパミン生成の中心になるのは小腸の後半3/5にあたる回腸という部分で、これなどまさに臍下丹田ではあるまいか。
丹田という名称が言い得て妙である。丹とは霊薬、田はその温床。
ここで気になるのは、そもそも「自分とはどこに居るのか」ということ。
我々は通常、自分は頭に居ると思っている。
日本人が自分を指さす時、人差指は鼻の辺りに向かう。(西洋人の人差指は胸に向かう。これはハートであって、キリスト教の影響だろう)
クラゲやイソギンチャクなど腔腸動物だったら、きっと腸を指さすであろう。そもそも腸しかないんだから。
無心の境地というのは、案外、腔腸動物の意識レベルにまで下降することかもな。
個体の発生は種の進化を辿ると言われるから、誰しも一度は母体内で腔腸動物だった時があるはずだし。
これで思い出すのは、4月に読んだダマシオの
無意識の脳・自己意識の脳。
この中でダマシオは自己を三段階に分けているが、その最も原始的な「原自己」というのが、イソギンチャク意識なんじゃあるまいか。
ダマシオによると原自己は脳幹で処理されるというが、腸を無視してやしまいかと思うのだ。